植木を出発して鹿児島へ向かいます。高速道路は山また山、トンネルを出てはまたトンネルといった感じなのでママは運転に集中です(トンネル入り口に信号があるなんて驚きでした)。人吉を過ぎた辺りから鹿児島IC手前まで時折激しいスコールのような雨が降ったりやんだりします。桜島SAでは雲が垂れ込めており、桜島がどこにあるのか全くわかりませんでした。
鹿児島ICで降りた後はyou tubeやgoogleの地図で下調べをしていたので道に迷うこともなく、すんなりと加治屋町にある「維新ふるさと館」へ到着しました。駐車場で車から降りた途端、その暑さに驚きです。市内到着後、漸く天気が回復したのは良いのですが、そのせいで鹿児島の街中は酷い湿気になっていたのです。これまで経験したことのない蒸し暑さに南国に来たという実感を強くしました。
そんな暑さの中、幸運なことに、維新ふるさと館駐車場の目の前が西郷隆盛生家跡(もちろん西郷従道、小兵衛の生家跡でもあります)でしたので、手早く記念撮影ができました。
「維新ふるさと館」ではダーが興味なさそうにしており残念でしたが、パパ的には、大久保利通が西郷隆盛と同じくらい背が高く、また、西郷隆盛がパパよりほんの少し背が高く体重が重いという事実に興味をひかれました。ところで、ダーってぽっちゃりしていて眉毛が濃くって、目が丸くって、よくよく見ると西郷どんと共通点がたくさんあるのに笑いました。
下の写真は「維新ふるさと館」です。
また、「維新ふるさと館」の北隣は大久保利通の生家跡がありました。西郷隆盛生家跡と目と鼻の先です。その他の偉人も含め、現代ならさしずめラジオ体操を皆でしている間柄といったところでしょうか!
ところで、大久保利通生家跡には、伊東祐亮海軍大将と思われる人の手植えの木(既に枯れている)がありましたが、どういう関係なのでしょうか?ちなみに伊東祐亮は飫肥藩伊東氏と繋がりがあるそうですが、どういった関係で薩摩藩士になったのでしょうか、気になるところです。余談ながら、西郷隆盛の先祖は元禄時代に薩摩藩士になったそうで、元々は肥後の菊池氏の出だそうです。だから、西郷は島流しにあったとき、菊池源吾(吾の源は菊池)と変名を使っていたんですね!ちなみに、西郷が尊皇の志士であり続けたのはご先祖様である菊池氏の影響でしょうか?さらに、西南戦争の最激戦地である肥後北部が菊池氏所縁の土地であることにも不思議な縁を感じます。
多くの元勲を輩出した加治屋町ですが、ダーがごねだしたため、十分散策することができませんでした。できれば、東郷平八郎と大山巌の生家跡にだけは行きたかっただけに残念でなりません。ダーをなだめるべく甲付川添いを少しだけ歩きましたが、雨の影響なのでしょうか、甲突川は濁っていて何も見えませんでした。
以下は加治屋町の地図です。それにしても、西郷どんの生家の隣の幼稚園の名が「敬愛幼稚園」とはさすがです。